DS-10若草レコード画像

特報! 12月8日(開戦記念日)ヨリ、iTune Storeニテ、「無限理論」販売開始シマシタ。

無限理論

無限理論 - 無限軌道 無限理論 驚愕ノ低価格!金900円也。

ごあいさつ・・・

みなさん、こんxxは。(昼夜を兼ねたべんりな挨拶です)
DS-10で電子音楽を演奏する若草レコードの公式サイトへようこそおいでくださいました。
もしや、誰からも検索してもらえないのでは・・・まちがって劇団若草や全国に大量に存在する若草幼稚園のサイトにいったまま若草レコードの公式サイトにはきてくれないのでは・・・と、不安で不安で、1分に1回執拗にインターネットエクスプローラの更新ボタンを押してしまいそうになったくらいであります。
もう、うれしくて・・・

インターネットエクスプローラには、「お気に入り」というべんりな機能があるみたいですよ。いますぐ、お気に入りというのを押してみては?
もし・・・よろしければ・・・若草レコードを・・・
いや、いいんです。ほんとうに気が向いたらで構わないです。
もう、見ていただけるだけで十分で十分(以下、延々続く)


若草レコードとはなにか

1945年のことです。

大東亜戦争

が無惨な敗戦に終わり、大空を夢見て陸軍少年飛行兵となった、Sさん(山口県)は、茫然自失のうちに故郷山口県に復員しました。

oscar.jpg


そこで見たのは、かつて憧れた陸軍航空隊の生き残りたちが特攻崩れと蔑まれ、また敵艦に肉弾体当たりを敢行し、死して国を守らんとした英霊たちが「戦争犠牲者」として故意に貶められている姿でした。

Sさんは、「ハズカシナガラモ生キ残ツタ我々ガ真実ノ声ヲ後世ニ残サナケレバナラヌ」と決意し、特攻隊員の遺書や大東亜戦争関連の資料収集を開始したのであります。

wakakusa_le3.jpg


これが、後の「若草航空戦史資料館」の始まりであります。

戦後まもなく、設立された警察予備隊・保安隊(後の自衛隊)に入隊したSさんは、大好きだった軍歌を、護国の英霊たちの鎮魂のために演奏したいという思いから、軍楽隊を組織することを思い立ちます。

これが、後の陸上自衛隊山口駐屯地音楽隊となります。

戦後20数年を経て音楽隊は順調に成長し、西日本屈指の音楽隊として各地で演奏を行うまでになりました。
このまま音楽隊の長として、定年まで勤めるのもいい人生かもしれない・・・と思い始めたS氏の人生を変えた出来事が起きました。昭和44年、映画「あゝ陸軍隼戦闘隊」の公開であります。これこそが、少年の日に憧れた加藤隼戦闘隊の姿そのものでした。

S氏は、毎日毎日映画館に通い続けました。すべての台詞を暗記するほどの熱心さでした。この映画こそが、自らの青春の証であり、後世に伝えていくべきものだと、確信しました。

そして、自衛隊を満期除隊し、駐屯地からすぐの国道沿いに土地を購入し、映画を上映できる資料館を建設したのです。

「若草航空戦史資料館」の誕生です。

S氏は、こつこつと集めた陸軍航空隊関連の文献・資料、特攻隊員たちの遺書を展示し、大金をはたいて購入した映画「あゝ陸軍隼戦闘隊」を自主上映しながら、講演活動を行いました。

wakakusa_le1.jpg

「若草航空戦史資料館」は、順調に拡大し、評判を聞きつけた近隣の陸軍航空隊関係者の遺族から続々と大東亜戦争の貴重な資料が届くようになりました。
毎日、暇を見つけては資料の整理に余念のないS氏でしたが、ある日、奇妙なものを受け取りました。

旧式な真空管ラジオのような箱にモールス信号の電鍵のようなものが、コードで繋がっている奇妙な機械でした。添えられた手紙は、このような内容でした。

 

前略 私は、大東亜戦争の期間を通じて陸軍軍楽隊にご奉公していた者であります。

この奇妙な箱は、昭和20年5月24日に熊本県健軍飛行場で、大東亜戦争最後の儀仗演奏を行った際に、ふとしたきっかけである人から貰い受けた品物です。沖縄への特攻出撃に向けて待機していた義烈空挺隊第3独立飛行隊所属の将校から、出撃の1時間前に突如声をかけられました。その将校とは縁もゆかりもない私が、声をかけられた理由がわからず、訝しい思いをしながら、手招きをする将校に付いていきました。 待合室でその将校が私に伝えた内容はざっとこのようなものでした。

「ぼくは、これから沖縄へ向けて出撃します。米軍の重厚な防御火線網・レーダー網をかいくぐって敵飛行場に強行着陸する、決死の作戦です。もちろん、何の心残りもありません。これまで訓練してきた成果を十二分に発揮して、敵に一矢報いることができる喜びに勝るものはないのです。私には家族もいませんので、身の回りの品も全て処分しました。しかし、一つだけ処分できなかった物があります。ぼくが学生時代より心血を注いで開発してきた電子楽器です。憲兵がうろうろしているところでは言うもはばかられることですが、ソビエトには優れた技術者・科学者を養成する科学アカデミーがあり、豊富な資金をもってさまざまな実験的試みがなされているのだと聞き、内心強い憧れをもっていました。そこでは、真空管と電気回路を使って今までにない新しい楽器が作られていたそうです。楽器本体に手を触れずに音階・音量を変化させることができる、画期的なものだそうです。私は、それをどうしても作りたかった。軍隊に入ってからも廃物の無線機や鹵獲兵器に搭載されていた電子部品を使って、さまざまな実験を繰返しました。しかし、どうしても手を触れずに音を出すことはできなかったのです。しかし、それでも電子的に音階を発生できる楽器を、モールス信号の電鍵を利用して作ることに成功しました。 やっと完成したのです。これから沖縄へ向けて出撃する身なれば、これを発明品として発表する機会はもう永遠にありません。しかし、唯ひとつのこの世への未練として、この楽器の演奏を誰かに聞いて欲しいと思い、学徒出身であり柔軟な思考ができるであろう、あなたを呼び出した次第です。」

将校はその楽器(とても楽器には見えないラジオの箱のような奇妙な物体です)の電源を入れ、真空管の温まるのをまって、演奏をはじめました。 将校は、電鍵を器用に操って、さきほど自分が演奏したばかりの曲、「扶桑歌(抜刀隊)」の旋律を奏でました。 それは、今まで聴いたことの無い不思議な音でした。宇宙の音楽とはかくなるものか?と少年雑誌で読んだ空想科学記事を脳裏に思いうかべました。将校は、微笑みながらこういいました。

「もう、思い残すことはありません。あなたは、日本で最初の電子楽器の演奏を聞いた人間でしょう。」

と告げ、困惑する私を残し沖縄へ向けて出撃して行ったのです。

そのときに、将校が残していった楽器が、今回寄贈する箱です。私には、この楽器を演奏することはできませんでした。しかし、もう一度あの不思議な音で、「扶桑歌(抜刀隊)」を聴いてみたい。そんな思いを胸に秘め、今までこの箱を持ち続けてまいりました。私もそろそろあの将校がいる世界からお迎えがくる頃です。この話を誰かに伝えておかなければ・・・と思い、不躾ながらお手紙を差し上げた次第です。

 

S氏は、この楽器の件が心の隅にずっとひっかかりながらも、日頃の忙しさに追われ、ついに再び演奏することなく、病に倒れてしまいました。

 

病床のS氏からこの話を聞いた私は、現代の技術で、あの時の電子音を蘇らせることが、護国の英霊の鎮魂につながるのではないか?と思いました。

 

・・・・という妄想で作ったレーベルです。


最近のお知らせ

M3に出ます。
みなさん、こんにちは。無限軌道です。来る…
ALL NIGHT☆DETUNEに、出演(1月28日)
みなさん、こんにちは。若草レコード代表で…
無限理論 by 無限軌道 絶賛発売中
みなさん、こんにちは。若草レコード、代表…

特設ページリンク

YouTubeチャンネルリンク

ニコ動リンク